蒐集

鮮やかな憧憬

気分が晴れない

大学時代と比較すると、猛烈な密度で時間が過ぎてゆく。

体感時間としては確かに早いんだけど、睡眠時間を除いて常に動き回ってるから、今までよりも活動実績も多い。まあそれは、一人で考え事をする時間を犠牲に達成しているトロフィーな訳だけれども。

 絵や小説をかくことは自分にとって大きなアウトプットのためのツールだったことを知った。アウトプットという行為は自分の考えや価値観を整理する手段として有効だったんだと思う。

 

考えや価値観を整理しないまま抱えていると、言動の不一致や良くない感情の波が自分に押し寄せてくることになる。 言語化前の行き場のないエネルギーだけ心の内に抱えているのはとても危険なことだ。なぜなら、行き場を失った感情群をなんとか整理しようと、身体がアウトプットの媒体に他人との会話を用いはじめるから。自分の感情の整理に他人を含むこと、これはとても危険な行為で、僕は絶対避けないといけない。理由を三つぐらいあげるとこんな感じ。

①言動の不一致の危険性が増す。自分の心は時間経過で修復可能だが失った信頼は時間経過では修復不可能である。

②ポジティブじゃない話を他人にしてしまう、というのはそもそもがリスク。

③他人は他人で繊細な感情の上に成立しているのでリアクションが一定だとはそもそも限らない。

 

そんな訳で、僕も「自分の好悪のランドスケープをきちんと概観」しなければならない。でも、これに関しては今触れたくない感じだ。後回しにしよう。

とりあえず、これまでの数ヶ月の総括ぐらいは書こうと思う。

 

生活のイベントとして、新しい職場への移動と、6年4ヶ月続いた一人暮らしが終わった。結果として、苦手な対人関係と実家での生活の二重苦が僕を襲った。精神が安定せず、常に自己嫌悪と最悪の気分が襲ってきた。 体力と感情とコミュニケーション、とにかく自分はそこに欠けると思う事柄がたくさんだ。

コミュニケーションについて思ったことがあるので書いておく。

①コミュニケーションは自分の輪郭を触るための営みではない。チームプレイというか、その場にいる人たちでひとつの空気を作り出す優雅かつ高度な舞台に近い。

②意見を言われた時、相手の発言と違う意見をいうよりは、相手の考えをまとめてわかりやすい文章に直したりする方が良いと思った。意見は聞かれたら答える。視界の共有ができるようなコミュニケージョンは理想的だけど、ほとんどの人はそう感じない。だから視界を共有するための文言は無駄なんだ。聞かれていないことを自分から公言することはない

③基本的に、僕は喋りすぎ。相手に話させる総量が多い方が良い。(できないことが多い、多分、感情の制御が下手すぎる)

④人に紹介しても大丈夫だと思われるような人間だと評価される必要がある。名前を覚えられないのは本当に良くない

⑤嫌いな人、苦手な人とコミュニケーションを取れるようにならないと

⑥学びが血肉になってない、繰り返したミスもある

 

次に、家族とのコミュニケーションについて書いておく。

①母親の喋り方は僕に似ている。母親の自然なモーションも僕に似ている。だけど、僕が変わりたいと思っている部分が特に似ているので、僕は母親と一緒にいると辛い気持ちになる。母はそんな自分自身の振る舞いについて、ちゃんと自尊心とかも持ってるみたいだ。僕はなんかもういちいち子供みたいに反応しているんだろうなあ、すごい疲れる。

 

急いでやらなきゃいけないこと

①会話の中で、同じことを二度言わない

②コミュニケーションはみんなで協力して場を作ること(not 自分の考えていることの輪郭に触れること)という前提姿勢の徹底

③感情を抑える訓練をする(どうやって?)

④考えは事前にまとめておく習慣をつける

 

あと、それらを支える基本的な要素として、単純に少し体力をつけたい。筋トレにしっかり通いたい