蒐集

鮮やかな憧憬

目蓋を落として

大学時代を総括するブログを書いたのが3月14日で、僕が今新幹線の中でこの記事を書いているのが4月30日。あれから一ヶ月と少し経って、どうやら僕も新社会人の仲間入りを果たしたようです。一ヶ月歯を食いしばって全力で茶番に取り組んだら、初任給をもらえました。GWはこれを握りしめて東京へ逃亡します。友人宅の方が、今の僕には安全。

皆さんご存知の通り、定型発達者向けとしか思えない研修プログラムに僕のASD傾向は付いていけていない。社会に合わせて自動化され、効率化されていた下宿の部屋すら失って、僕はまた地獄みたいなところに逆戻りだ。

最近よく、気持ちを意識する。大学時代から一番変わったというか、戻ったというか、僕に生きづらさを強調してくるのは今回も感情の取り扱い。

ここでは心の内面まで、かくあるべしというルールが定められている。多少の首輪は覚悟していたけれども、まさかそれが精神世界の内側にまで及ぶなんて、と少し驚いている。

今の僕には圧倒的に一人の時間が足りていない。時間を外側から区切られ、金銭とGPSによって生活のほとんどを規定されている。帰宅して、罵倒の中で雑務をこなし、全ての業務を終了してから屋根に出て、星を眺めて一服する。1日の中で30分にも満たないその時間が、今の僕に許された唯一の詩情だ。

とくに死にたいわけでもない、誰かを当てこするような怒りも湧かない。そういうそれは僕も同じだけれど、僕の場合は多分、言語化できていないだけだろうなという気持ちがある。言語化の体力すら今の僕には無くて、バカみたいに大きなヘッドホンをかけて音楽を聴いているよ。その状態でコードを書くと肩ばかり凝る。本当にバカみたいだ。

天気がとてもよくて、窓の外に新緑が広がる。僕の涙腺はこの一ヶ月の間におかしくなったようで、過去の生活の中で手癖にしていた何かを思い返す瞬間、容赦無く理由のない涙が出てくる。

それを眺めながら、停止した頭に音を叩き込む。最近覚えたオルタナティブロック、浮遊感にクラクラする。考えちゃいけない。今はいけない。