蒐集

鮮やかな憧憬

アンバランス

最近,自分のことが全然わからない.ただなんとなく居心地が悪いんだけれども,具体的な不具合は同時多発的にあちこちで起きていて,見通しのいいところに原因が転がってる,なんてことはなさそうだった.

とはいえ人と話してる感じから,キーワードはバランスかなという印象を持っていて.それは例えば,他者評価と自己評価に齟齬があるとか,成果を焦って集中し辛くなったとか,楽しいはずの時間を過ごした後に猛烈な虚脱感が襲ってくる,というところからそう感じる.まあでもバランスという言葉自体は,こんな風に居心地の悪さを漫然と並べて,じゃあ今度はどうくくると短く説明できるかなと考えると,比較的妥当な気がしたってだけなんだけど.

バランス.

具体的に何と何のバランスかというと,言葉と身体という風に線を引くのが妥当かなと思う.心と身体,ではなくて,言葉と身体の釣り合いがうまくいってない.たぶんね.

……と,言葉を進めてみたものの,ここまでに何回「気がする」とか「思う」とか書いただろう.結局,この疲れた感じの大部分は,こういう不明瞭な言葉で櫓を組んでいる気持ち悪さなんだろうなと思うんだよね.僕の言語運用能力か抽象化のセンスがダメなのかもしれない.

というかもう,ぶっちゃけとてもしんどい.しんどい……

自分のよくわからないところの一つに,自分の使う言葉の解像度は低いと思っているのに,まるで言葉が万能であるかのように,言葉にすがって意思を決定したり,何かを理解しようとするところがある.今こうして,のらりくらりと言葉を書き連ねているのだってそうだ.

丸く線を引いて,その内側と外側に要素を選り分ける.そうやって類別してたくさん集まった,閾値内の似たものそれぞれに単一の意味内容を抱く.それが僕らの使う言葉と,それに対応する概念で,ちょうど目的に合わせて顕微鏡の倍率を変更して行くように,丸のサイズを変更して,言葉は機微に対応しようとする.

目的ありきというか、道具的というか、常に行為の対象として世界を扱うような場面で,この営みは確かに強力だけれど,裏を返せば価値尺度による恣意的なフィルターを用いて情報を落とす分,時々こうしてわからなくなるんだと思う. 

本当のこと(本当のことってなんだ)を言うと,ある点からある点まで腕を動かす時にすら脳は意思決定をしていて.運動を細分化すれば,腕を動かすときに,はじめはゆっくりと動かし始めて段々と速度が上がり,どこかで最大速度に達し,目標地点でまたゆっくりと腕を止めるような軌道を描くように動かしている筈で,それはそれとして脳内では演算が行われている.でも現実として,トルク変化最小モデルとか難しい話を読むまでもなく,僕はそれを言語化せずに扱う(意思決定する).

僕は言葉をかなり単純な構造として理解していて,その上でその力強い恩恵を受けているし,慣れ親しんでもいる.言い換えると,価値尺度の従って物事をはかり,選り分ける営みによって(それはつまり言葉によって)世界をもう一つ作り直してきたということなんだと思う.自分でビルドした世界はなんとなく見慣れているし,そういう練習をいつもやってきたなら,その道具だけでは乗り切れないところでも,無理してその道具だけでやりくりしようとする向きが自分のなかにあるのは自然な流れなのかもしれない.

言葉だけ,とか,非言語だけ,だと不十分な部分に自分が弱いとして.例えばどんなところかっていうと,さっき言ったみたいな,他者評価と自己評価に齟齬があるとか,成果を焦って集中し辛くなったとか,楽しいはずの時間を過ごした後に猛烈な虚脱感が襲ってくる,というところだったりしないかな.

自分のうちだけだったら,自分にとって自然な形に留めておけるけど,他者と接点ができると,そういうわけにいかないっていう部分.そういう機微の中で,わざわざ他の選択肢を全部殺した上でぎこちなく不十分な言葉を暴力的に使っていたりしないかな.

だとしたら.……この上で,また不安定な櫓を組もうとしている自分がいるけれども,だとしたらね.結局そういう異常行動が起きている理由って,コミュニケーションの問題ということで納得して,何か対策を立てることはできないだろうか.

とかなんとか.少し考えていたのだけれど.大前提として,ちょっとヒューリスティックな物に頼りすぎるところが,自分にはあるのかもしれない.その場合,自分は普通に,考えるの向いてないね.